ー「蛍ヶ池」という池が駅名の由来になったと聞いたことがあります
※刀根山4丁目にある蛍ヶ池/2024年撮影
泉さん
泉さん
「夜に電車が到着しても『あさだー あさだー(朝だー)』だとおかしいって(笑)、それで『蛍池駅』になったって笑い話を聞いたことがありますね」

泉さん
「地名も麻田だったけど、昭和30年頃に今の地名に変わったんじゃないかな(レファレンス協同データベースによると昭和32~33年頃に変わったそうです)」

ー蛍池では、お買い物ってどうしてたんですか?
泉さん
「駅の西側にお肉屋さんがあるでしょ?」

泉さん
【駅の話】
泉さん
泉さん
「プラットフォームなんて、幅が2mぐらいしかなかったと思う」
【泉さんの話】
蛍池に引っ越されてからも、お仕事はそのままですか?
泉さん
「妻の母が小さな幼稚園を経営していたんですけど、亡くなってから私が代表になったんです」

ー蛍池にある小さな幼稚園・・・って!?
豊泉家スタッフ 岡本さん
ーえーっ、そうだったんですか!それ早くおっしゃってくださいよ(笑)
※空港線沿いの螢池西町にある「蛍池文化幼稚園」
泉さん
「誰も継がないって話になって『潔さん、あんたしかおらん』って・・・それで腹をくくって幼稚園を運営することになったんです(1973年/昭和48年)」

ーとっても立派な幼稚園ですね!
泉さん
という感じで、あっという間に1時間が経過したところで終了となりました。
(昭和30~40年代当時の)豊中(岡町・蛍池)での生活ぶりがリアルに浮かび上がってくるようなお話が聞けて、ちょっと興奮しました。
「昭和100年」を機に、年末年始おじいちゃん・おばあちゃんから「昭和の話」を聞いてみるのも面白いかもしれませんよ。
泉さん、豊泉家の岡本さん、東谷さん、ありがとうございました!






























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