増山先生
「私の父が石川県の能登から出て来て、初めて仕事をしたのが岡町だったんです」

増山先生
「本当はね、曽根にあった北大路魯山人が経営にかかわっていた『星岡茶寮』で働く予定やったんですよ。丁度いま、文化芸術センターになってる所にあった、立派な料亭です」

増山先生
「でも父は長男なので、田舎に帰ってからも出来る仕事の方が良いとなって、クリーニング店で働くことになったんです」
※北大路魯山人資料室ホームページより引用

なるほど、そうだったんですね。『われらみな、星の子どもたち』の第四章「キャメルとハーモニカ」は、主人公の父親が岡町の洗濯屋さんで働きながら過ごした青春時代の思い出が、色鮮やかに書かれています。これは実際にお父さんが経験された話がベースになってるんだって。

増山先生
「父は豊中市民病院の近く、能勢街道側にあったクリーニング店で修行していました。そうそう、服部緑地にある競輪場にも行ったらしいですよ」
※どうやら今の陸上競技場の所に昭和25(1950)年から5年間だけ服部緑地の中に「豊中競輪場」が存在したそうです

増山先生
「本には書いてないんですが、父がクリーニング屋で働きだした時の歓迎会は岡町桜塚商店街でしてもらったそうですよ。「圡手嘉(どてか)」か・・・」
※2019年4月撮影/記事はこちら

増山先生
「「鈴乃家(すずのや)」か・・・ちょっとはっきり覚えてないそうなんですが。どちらも今も営業されていますね。休みの日には映画に行ったりと楽しんでいたようです」
※2025年7月撮影/記事はこちら

ここで聞いていたみなさんも「岡町には映画館が3つあった」「豊中駅前にも映画館はありましたよ」など、豊中トークで盛り上がりました。

増山先生
「クリーニング屋で働いていたもんですから、洗濯した作業着なんかを届けるために当時米軍基地として利用されていた「伊丹エアベース」の中にも入れたそうです。そこで戦闘機の操縦席に乗せてもらったりしてね。沢山の思い出がある町です」
※現在の「空港入口」の交差点付近にあったそうです

増山先生の小説に出てくる登場人物は、全員がまるで生きているみたいに描写されているなと読みながら思っていたんですが、本当に豊中で過ごされた話だったんですね。

増山先生
増山先生
「本を読んだあとは、是非ご両親の話を聞いてください。1番近くて1番遠い存在だけれども、今に繋がる話を教えてくれると思います。今日はありがとうございました」

公演の最後は、増山先生のサイン会が行われました。

みなさん熱心な読者さんなので、直接お話できて嬉しそうでしたよ。

サイン会を終えた増山先生にお話を伺いました。

――本日の講演会はどうでしたか?
増山先生
「頷いたりリアクションをはっきりして下さったので、とても話しやすかったですね」

増山先生
「講演会ではありますが、会話のキャッチボールがしっかりできて、話が届いているのが分かりました。みなさん熱心に聞いてくださって、とても嬉しかったです」

――豊中市民に何か一言お願いします。
増山先生
「小説を読んだ後は、是非登場した場所に行ってみて下さい。良いガイドブックになると思いますよ(笑)」
※今回の公演会にも参加されていた「けったさん」が書かれたMAPは、こちらからダウンロードできますよ

ここで読者さんへのプレゼントです!増山先生直筆のサインが入った『今夜、喫茶マチカネで』と『われらみな、星の子どもたち』各1冊を抽選でプレゼントしちゃいます!

どちらも本当に面白い小説ですので、まだ読んだことの無い人は是非この機会に応募してみてください。(応募はこちらから)
増山先生、岡町図書館のみなさん、そしてお話してくださった読者のみなさん。本当にありがとうございました!