こんにちは!ぐっち@TNNです!
まちなかで見かける「石碑」や「記念碑」の背景を調査して、その詳細をお伝えするお試し企画「あの碑なんの碑」を任されました。
「歴史が得意!」というわけではありませんが、現役大学生という立場もうまく活用して、調査してみたいと思います。
さて企画一発目の石碑ですけど、赤阪にある「石丸梧平 顕彰碑」を調査してみることにしました。
地図ではここ、熊野田小学校のすぐ近く
神崎刀根山線沿いにあります。
「メガネに背広」ってことは、比較的最近の方なのかも。
土台に刻まれた言葉。
銅像の脇に、それと同じと思われる文言が書かれていました。
なるほど、ちょっと哲学っぽい感じの先生なのかも??
これ、裏側にも何か書いてあるかな。
周囲が柵で囲まれていたので、脇からチラ見。
川を挟んで後ろからアップで。
「石丸梧平先生略歴」かぁ。
うーん、木の葉っぱが虫食い算みたいになってて読めないですけど(笑)
・熊野田村に生まれる
・早稲田大学史学科卒業
ってところ以外は、単語が拾えるぐらいですね。
"先生"ってことは、学校の先生をやっていたのかも??
もうちょいヒントがほしい。
そう言えば、近くに石柱も立っていたので
そちらもチェックしてみます。
あ!
「深田與平次」って書いてある、石丸先生じゃない(汗)。
※Google mapの何も表示されてないところクリックしたらちゃんと出てきました
石丸先生に関連する人なのか、あるいは石丸先生の友達とか・・・もしかしてご家族??
何か関係あるかもしれへんし「深田與平次」さんについても調べてみるかぁ。
調べ物なら図書館へGo!ということで行ってみましたよ。
千里図書館には豊中市に関する資料の棚があって、けっこうたくさん用意されています。
TNNでまいどお世話になっています、千里図書館の中津さんに資料探しをお手伝いしてもらいました。
「石丸梧平」「深田與平次」「熊野田町」「石碑」「銅像」などのキーワードをもとに、これだけの資料が出てきましたよ。
※中津さん、ありがとうございます!
さっそく石丸梧平先生について記述のある本を発見!
※「豊中の史跡たずね描き」より
明治19年(1886年)熊野田村※生まれ、早稲田大学卒業後、府立今宮中学校で教鞭を執り・・・
※1936年に豊中町・熊野田村・麻田村・桜井谷村が合併して豊中市が誕生しています(豊中市HP)
やっぱり学校の先生だったんですね。
7年間教壇に立った後は、文豪として活躍。
※「グラフとよなかNO18」より
初めて近代文学に「大阪弁」を取り入れたんですって。
なんと!あの石碑について書かれた新聞記事も発見しました(図書館スゴい!)。
※「朝日新聞 昭和53年1月11日」より
1978年に地元の有志による募金で作られたようです、豊中が誇る偉人だったんですね。
※「広報とよなか 昭和53年3月1日」より
そして、深田與平次さんについても記述のある本を発見しました。
※「とよなかの史跡巡り」より
深田さんは、熊野田村の村長さんだったようです。
昔、熊野田村には急な坂道が多く、生活が非常に不便だったそう。
そこで深田村長が坂道の傾斜を緩くする工事を大阪府にお願いして、改修工事を実現させたんですって。
※熊野町で急な坂道を探してみたんですが本当になかったです(驚)
記念碑が建つぐらい、村の人達が喜んだってことですよね!
ちなみに、お二人の関係性について書かれた本は見つけることができませんでした。
ということで今回は調査終了です。
普段何気なく通っている道沿いに立っている石碑や記念碑ですが、いろんな意味が込められているんですね。
この他にも豊中にはたくさんの石碑があるみたいなので、また調査しに行きたいと思います!
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